|トップ>散策マップ>11.家康公が愛した府中宿 静岡市静鉄春日町駅〜静岡市安倍川橋|
19番目の府中宿は、家康公が大御所として1605年から亡くなる(1616年)までの間、政治をコントロールした場所です。この時代、駿府は首都としての機能があり、訪れる外国人などは江戸ではなく、駿府の家康公に謁見していました。
華陽院 |
家康公は3歳で母親と生き別れ、父親とは8歳で死別しています。今川家の人質としては8歳から駿府の地にいたのですが、病弱であったと伝えられています。その家康公を心身ともに支えたのは祖母である源応尼でした。 |
久能山道碑 |
参勤交代の大名たちは、家康公の墓参りをするためにここから久能山東照宮へ向かいました。 |
札の辻 大道芸 |
高札場が設けられた四ツ辻は、現在、土日祝日には大道芸が繰り広げられています。 |
静岡 浅間神社 |
正面、大拝殿前の舞殿は、社殿の中で唯一彩色されていない素木造りで、彫刻の素晴らしさを鑑賞できます。秋には、この舞殿で管弦、神楽、舞楽などを奏でる仲秋管絃祭(ちゅうしゅうかんげんさい)が催されます。 |
宝台院 |
家康公の側室で2代将軍秀忠公の母、西郷局(さいごうのつぼね)の墓です。西郷局は、天正7年(1579)浜松で秀忠公を出産しました。三方原の合戦、設楽原の合戦、長久手の合戦と、戦続きで家康公が最も苦しかった時代、浜松で家康公を支え、そして、天正14年(1586)家康ともに駿府に入りました。 |
切支丹灯篭 |
キリシタン大名古田織部が駿府城に奉納したものです。家康公の侍女「ジュリアおたあ」らが祈りを捧げました。キリシタンの弾圧は駿府の地からはじまっています。 |
新通り |
新通りからは、富士山が真正面に見えます。高い建物が無かった江戸時代には、もっと迫力ある富士山が見えたと思います。 |
本通り |
本通りから見た富士山。右斜め前方に見えます。 |
久能山東照宮 |
社殿は平成22年に国宝に指定されました。本殿、拝殿、石の間の3棟からなる神社の代表的建築様式「権現造り」の最初の建物で、元和3年(1617)の創建時そのままの建材が使われています。総漆塗り、極彩色の華麗な装飾に圧倒されます。日本平山頂からロープウェイを利用するのが便利ですが、久能山下から1159段(いちいちごくろうさん)の階段を登るのも一興です。 |
安倍川餅・せきべや |
家康公が名付けた「安倍川餅」、やっぱりここで食べたい。 |